7月11日午後、新潟県上越地方にはげしい雨が降り始めた。しかし、この時点
では、誰一人プールが崩壊するとは考えていなかった。
7月12日になっても雨は止まず、関川の水はますます勢いを増していった。
そして、信じられない出来事が起こり始めた。プール南側の土砂が関川の水によって流され始めたのである。
朝5時20分、プールの一部が壊れ、プールの水が関川に流れ出した。6時、プール更衣室も流出する。
午前10時25分にプール東側の倉庫が崩れ落ちた。
その前後、プール脇の更衣室や便所も流され、少しずつプールも削れていった。
関川の激流によって、まずプール下の土砂が深く削られていった。
そして、プールのコンクリートだけが最後に残り、コンクリートの重みに耐えられなくなると
崩れ落ちていった。
右の3枚の写真は、12日お昼過ぎのプールの崩れる様子である。
私たちは、プールが崩れるのを対岸からただ見ていることしかできなかった。
プールを見に来ていた女子生徒は、崩れ落ちるプールを見て目にたくさんの涙をためていた。
南中の中では、危険になってきた裏校舎にある楽器や理科器具を前校舎に運び出す作業が行われた。
12日午後には南中が立入禁止となり、学校の本部が近くの克雪センターに移された。
濁流の勢いは衰えず、12日夕方18時までには、プールのほとんどが崩れ落ち、裏校舎の土台も削られ始めた。
その後、しばらく変化はなかったが、7月13日未明、ついにプールが完全に崩れ落ちた。
裏校舎南側にあるいちょうの木は深く根を張っていたが、7月14日
7時には4本あったいちょうの木のうちの3本が崩れ落ちた。
7月16日10時、裏校舎下へのシートはり作業が終了し、さらに雨が降っても
土砂が削られないようになった。
このころになると関川の水が減り、川底からは、壊れたプールの残骸が出てきた。