その頃、姫川原小学校には、鳥坂中学校が併設されていました。 昭和29年には、現在と同じ「新井市立姫川原小学校」という名前になりました。 |
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川上に住んでいて、最初の2年間は川上分校に通い、4年間は吉木小学校に通いました。 (←分校の校舎として使われていた川上公会堂) 昭和33年には、学区が変更になり、川上地区は当時46名の仲間と姫川原小学校へ通うようになりました。 |
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木造の校舎で、冬はだるまストーブでした。たきつけの杉の葉を集めるのが大変でした。 冬の道付けは、子どもたちの仕事でした。雪合戦やおにごっこ、「カチコ」という雪玉わりをして遊びました。 |
冬は、船岡山でスキーをしました。船岡山まで歩いていき、大会もありました。 |
昭和37年11月8日、今の校歌がお披露目されました。
それから40年、大勢の人がこの学校で学び、成長して卒業していきました。 |
それでは、今の校歌になってからの時代をふりかえってみましょう。 この会場にいらっしゃる方の顔が見られるかもしれませんよ。 【1・2年生による校歌斉唱】 |
「ところで、姫川原小学校といえば、どんなものが思い浮かぶ?」 「そうねぇ。私は、メタセコイヤの木とか、ぶどうの木、それから観察池やアヒルたち。」 |
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「プールのシャワーの壁の絵も姫小らしいわね。シンボルタワーには、卒業生のタイムカプセルも入っているそうよ。」 「会場のみなさんは、何が思い浮かびますか?」 【つづく】 |